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【エゾオオカミとは】生態や絶滅の原因・生き残りの可能性まとめ

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エゾオオカミとは

エゾオオカミは北海道に生息していましたが、明治時代に人間の手によって絶滅に追い込まれたと見做されている動物です。

かつて、エゾオオカミはアイヌの人々と共存しており、「狩する神(ホロケウカムイ)」、「吠える神(ウォセカムイ)」、「鹿を獲る神(ユクコイキカムイ)」と呼ばれて崇拝されていました。

この記事では、エゾオオカミについて詳しく解説していきます。

属性

哺乳類、ネコ目、イヌ属。

エゾオオカミは、シベリア大陸に生息するタイリクオオカミの亜種です。

生息地

エゾオオカミは北海道に生息していました。

樺太や千島にも生息していたといわれています。

形態

ほとんどのエゾオオカミのサイズは頭胴長が約120㎝から130㎝、尾長が27㎝から40㎝程度といわれています。

二ホンオオカミは頭胴長が95から114㎝で尻尾が30㎝程度であることを考慮すると、エゾオオカミが巨大であることは明らかです。

エゾオオカミの毛の色は体毛には黄色みがあり、尻尾の先端は黒色をしています。

両前足には黒の斑があります。

ミトコンドリアDNA分析において塩基配列がカナダ・ユーコン川流域に生息するオオカミのものに一致しました。

生態

エゾオオカミは群れを形成し、暮らしていました。

オオカミは群れで生活し、集団で大きな獲物を狩り生活する習性があります。エゾオオカミも他のオオカミと同様の性質をもっていました。

エゾオオカミはエゾシカ、クジラの死体、ニシンなどを食べていました。

二ホンオオカミとエゾオオカミは生態系の食物連鎖で頂点にいる肉食獣として、シカの増殖を抑えてきたと考えられています。

エゾオオカミと人間

エゾオオカミ、ないしオオカミは明治時代以前において、人間と共存して暮らしていました。

アイヌ民族にとって、エゾオオカミは神的な存在でもありましたし、江戸時代にも人々から感謝されていました。

しかし、明治時代になると、人々のオオカミに対する見方は変わります。エゾオオカミは害獣と見做されることになったのです。

エゾオオカミとアイヌ民族

古来から、アイヌ民族はエゾオオカミと共生していました。

この民族にとってオオカミは人間の味方として位置付けられていました。

アイヌ民族はエゾオオカミを「狩する神(ホロケウカムイ)」、「吠える神(ウォセカムイ)」、「鹿を獲る神(ユクコイキカムイ)」として、崇拝していました。

アイヌ民族がエゾオオカミを神として崇めたのは、彼らにはエゾオオカミの食べ残しをもらっているという認識があったからです。

彼らはエゾオオカミの遠吠えの方角に、この動物の食べ残しをもらいに出向きました。

アイヌ民族からエゾオオカミが「狩をする神」、「吠える神」と呼ばれる理由はここにあります。

アイヌ民族にとってエゾオオカミはイオマンテの対象でもありました。

イオマンテとはアイヌ民族が行う儀礼です。この儀礼ではヒグマなどといった動物を殺して、その魂であるカムイを神々の世界に送る祭りです。

アイヌ民族はエゾオオカミを殺し、この動物の魂を神々の世界に送ったといわれています。

明治時代の人々とエゾオオカミ

江戸時代の中期より前には、ニホンオオカミは日本各地に生息していました。

当時においてオオカミは田畑を荒らす草食獣を退治してくれる動物として農民たちから感謝されていました。

農耕民族であった日本人は、田畑を荒らすシカやイノシシを狩るオオカミを益獣と考えていたのです。

明治期になると、エゾオオカミは害獣として見做されるようになりました。

この動物が人間を襲った、危害を加えたという記録はありません。エゾオオカミが害獣として見做された理由は、食糧不足に陥ったエゾオオカミが人間の飼っているウマを襲ったことが最大の原因ではないかと考えられます。

エゾオオカミの剥製は少なく、記録もさほどありません。

その理由は、明治時代においてエゾオオカミは駆除の対象とされていたように、害獣として見做されていたため、自然史の資料として考えられていなかったことに関係します。

エゾオオカミについての位置付けも特殊なところがありました。それはこの動物の呼称にも表れています。

明治時代末、エゾオオカミの呼称は「狼」に限定され、本州以南のオオカミである「山犬」と呼び分けられるようになりました。

エゾオオカミが絶滅した原因

エゾオオカミの絶滅年は1896年~1903年と考えられます。

1889年に最後の一頭が目撃され、1896年に函館の毛皮商によってエゾオオカミの毛皮数枚が扱われたという記録を最後に、この動物の情報が途絶えています。

二ホンオオカミは1905年に絶滅したと見做されているため、エゾオオカミの方が10年程はやく絶滅しています。

エゾオオカミを絶滅に追いやったのは人間です。

明治時代、北海道が開拓されると、エゾオオカミの獲物であるエゾシカが減少しました。食糧不足に陥ったエゾオオカミは、エゾシカの代わりに放牧されたウマを襲いました。

そのため、1876年に政府は報奨金制度を開始し、1頭につき2円から10円で捕らえることを奨励しました。1877年から、エゾオオカミの本格的駆除が始まりました。

1879年には、大雪によってエゾシカが大量死しました。その結果、エゾオオカミはさらに困窮状態に陥り数を減らしていきます。

1888年、政府による報奨金制度が廃止されました。

1877年頃からエゾオオカミの駆除がはじまり、1888年までの約10年間に、約2000から3000頭が殺されたのです。

エゾオオカミが絶滅したもう一つの原因として、病気が関係すると考えられています。しかし、エゾオオカミの発病の原因を作ったのもまた人間なのです。

明治時代、日本に外国から犬が輸入されるようになりました。その時に、狂犬病やジステンパーもまた国内に入り込んでしまったのです。

それが野生のオオカミにも蔓延したといわれています。

エゾオオカミは病気によって命を落としただけではなく、狂犬病を患っているオオカミが人間に噛みつくことを恐れて、さらなる駆除対象となってしまったのです。

エゾオオカミの生き残りの可能性

エゾオオカミについて近年における目撃情報はなく、絶滅した動物として見做されています。

インターネット上に上がっている映像や写真はデマである可能性が高いです。

エゾオオカミと博物館

エゾオオカミとして認められている標本資料は、北海道大学植物園に所蔵されている剥製4体、頭骨7個(北海道大学植物園所蔵資料4個、新ひだか町アイヌ民俗資料館所蔵資料1個、大英博物館所蔵資料1個、ロシア科学アカデミー人類学民族学博物館1個)が存在します。

北海道大学植物園・博物館で展示されている2体の剥製は模式標本となっており、札幌農学校で教鞭をとっていた J.C.カターが製作保存に関わったと考えられています。