1981年(昭和56年)とあるニュースが全国紙の一面を飾ります。
当時、高度経済成長期が成熟しバブル経済の真っただ中である日本において、こともあろうか新種の生物が発見されたのです。
その生物が今回お話しする「ヤンバルクイナ」です。
この鳥は沖縄県北部の山原(やんばる)地区で、突如としてその存在が確認されました。
日本国内に新種はもう居るはずがない…そんな生物学者たちの鼻っ柱をへし折るような出来事だったのです。
この「新種発見」の報道は過熱し、そしてやがて沈静化していきます。
現在ではこの歴史的発見を知らない人の方が多く、一部の熱心な方々により「ヤンバルクイナ」は徹底的に保護されており、緩やかですが個体数は増加傾向にあります。
今回は山原地方にしか存在しない貴重なクイナの仲間「ヤンバルクイナ」をご紹介していきます。
「ヤンバルクイナ」とは
バブル経済で日本人が浮かれている真っただ中、この「ヤンバルクイナ」はひっそりとその存在が確認されました。
当時「ニホンカワウソ」や「ニホンオオカミ」など国内で完全絶滅した動物は多かったのですが、まだ見ぬ新種が存在していることは、生物学者をはじめとして誰一人想像していなかったのです。
ヤンバルクイナ発見の発端となった地元住民の目撃談は、1981年の新種認定から、さかのぼる事数十年前に始まります。
沖縄本島北部の山原地域の住人は、正体不明の飛ぶことのない黒っぽい奇妙な鳥を度々目撃していました。
知らせを耳にした「山階鳥類研究所」の研究者たちが、新種認定までの数年間その鳥の発見に心血を注ぎます。
そして冒頭で述べた新種の鳥類「ヤンバルクイナ」の発見に至るという訳です。
1982年の調査において、二羽のヤンバルクイナの捕獲に成功し(この二羽は後ほど放鳥されます)学会において未知の鳥類・新種としての報告を提起します。
新種としての記載論文が受け入れられたことで、同年末に和名を「ヤンバルクイナ」、学名は「Rallus okinawae」と名付けられ、晴れて正式に新種認定される運びとなりました。
それから約40年後の現代まで、山原地方のヤンバルクイナは世界的に貴重な鳥として積極的な保護活動が脈々と行われています。
ヤンバルクイナの生息地「山原地方」には、本来ヤンバルクイナを捕食する天敵はいません。
そのため、翼はありますが飛ぶ必要性がなく「飛べない(飛ばない)鳥」としての生き方を選択したのです。
その食性は雑食性であり、昆虫類やミミズ・陸生タニシに代表される陸生巻貝などの土壌生物や、植物の果実や種子などを餌とする幅広い食性を持ちます。そして時にはカエルやヘビなどの意外な生物も餌にします。
ヤンバルクイナは口に入る若いヘビなどを食べる事もありますが、成体になり大きくなったハブは唯一の天敵です。
互いに山原の森で実に上手く共存共栄していました。
沖縄県北部山原地方には有名なキツツキの仲間「ノグチゲラ」や、国内最大のコガネムシ「ヤンバルテナガコガネ」そしてこちらも国内最大のげっ歯類である「ケナガネズミ」など、ここでしか見ることができない固有種が数多く存在しています。
植物も同様で、日本の植物の約1/4もの膨大な種類が自生しています
その中でもヤンバルクイナは日本唯一の飛べない鳥であり、ツル目クイナ科ヤンバルクイナ属に属する一属一種の貴重な固有種となります。
主に亜熱帯樹林が盛んに生い茂る森林地帯を主な活動域とし、日中に土壌生物を探したり、落ちた実や種子を盛んについばむ様子が観察されています。
外見はその胸から腹部にかけて白黒の縞模様を持ち、目と脚部…そしてクチバシは深紅色をしています。
全長は成鳥で35~40cmほどとなり、体重は鳥類としては例外的に300~400gもの重さになります。
非常に水を好み、森を流れる小川や湧水でできた池などで、日に一度は必ず水浴びを行います。
羽根は退化の痕跡が見られ体重や全長に比べて非常に小さい上に、かなりの丸みを帯びており、本来飛翔に使うべき筋肉が極端に退化しています。
そのため縄張りのパトロールや食べ物を探しての移動は全て歩いて行います。
飛ぶこともあると言われますが、ほぼ滑空するのみであり飛び立つことは不可能です。
深紅色のクチバシはかなり大きく頑丈であり、貝類の小型陸生種などの殻を容易に砕いてしまいます。
どうしても殻を砕けない場合は貝を石や岩などに打ちつけるなど、ある程度の賢さも備えています。
更にそのクチバシは鳴き声を響かせる役割も持つため、ジャングルの様な山原の森でメスを探したり、縄張りを主張するための大きな鳴き声を他のヤンバルクイナに伝える事もできるのです。
日の出日の入り時には盛んに鳴き声をあげるのですが、昼間の活動期には滅多に鳴くことはありません。
夜間になると木に登り、その場で一晩を過ごします。
ヤンバルクイナは低木地帯や草木の中に枯枝を集め皿状の巣を作ります。
毎年その巣に3~6個ほどの卵を産みつけ、つがいが交代で温めるのです。
ヒナは全身が真っ黒な羽毛で覆われており、孵化して僅か一日後には、その足で立ちあがり歩くことができます。
新種として発見された当初は推定1800羽ほどが生息していましたが、徐々にその数を減らしてしまい、平成17年には半数以下の700羽にまで減少してしまいました。
近年は天敵の駆除事業や保護施設の尽力、地元民への保護活動の浸透などが広まることで、その数は緩やかに回復し2022年現在は1500羽と発見当初の水準に近づきつつあります。
ただ、1500羽という個体数は野生動物にとってはかなり少ないと見られており、まだまだ予断は許しません。
ヤンバルクイナを安定して保護するためには、より一層の保護・保全活動を促進し総個体数を増やす必要があり、更には彼らが安全に暮らして行ける山原地区を人間側が保全・保護する責任があるのです。
「ヤンバルクイナ」の分布・生息地
ヤンバルクイナは日本の完全固有種であり、その生息地は沖縄県北部の通称「山原地域」のみに限定されます。
山原は「東洋のガラパゴス」とも呼ばれており、世界規模で見ても、生息地そのものが保全維持されるべき貴重な野生動物の宝庫であり、山原の森の重要性・貴重性がより重要視されることとなります。
昼行性であるヤンバルクイナは夜間のみ、木の枝に昇り睡眠・休息を取ります。
これは天敵であるハブなどのヘビを始めとした、大型爬虫類から身を守る行為であると言われています。
標高500m以下の山原の森の地表を主な活動地にしており、落ち葉や岩の陰…時には湿地帯や水中にまで進出し、そこに生息する昆虫類・貝類なども捕食しています。
理由は明らかになっていませんが、何故かヤンバルクイナは沖縄県北部の山原の森にしか生息していません。
「ヤンバルクイナ」が絶滅危惧種となった理由
ヤンバルクイナはこのままの環境下が続けば、約10年後に完全絶滅すると言われています
ヤンバルクイナが絶滅危惧種となった理由は、大きく分けて三つの要因が挙げられます。
一つは人為的に導入された陸棲肉食獣、つまり「マングース」の帰化です。
マングースは本来1950年代後半から1970年代初頭にかけて、県民の脅威であるハブやマムシ等の毒蛇退治のために人の手により大量に持ち込まれました。
また、サトウキビ畑を荒らすネズミの駆除にも大きな期待が寄せられていました。
ところが人の手により持ち込まれた動物が、その地本来の生物ピラミッドに組み込まれ、上手く行った試しはありません。
このケースも同様で、最大の誤算はマングースが全くハブやネズミには寄りつかず、他の動物たちを捕食し始めた事です。
絶滅危惧種に指定されている「オキナワキノボリトカゲ」「ハナサキガエル」に始まり、同じ鳥類である「ホントウアカヒゲ」など、捕らえやすく警戒心の薄い在来動物へマングースはターゲットを移してしまうのです。
その昔、強力な毒を持ち危険種である「ハブ」「マムシ」とマングースとの格闘をショー的に見せていたことから、人間側は大きな勘違いをしていました。
当たり前の話ですが、自分が致命傷を負いかねないヘビの仲間や、その捕獲に難儀するネズミ類などの小動物より、警戒心が薄く天敵への対抗手段を一切持たない山原固有種の方がマングースにとって最も安全な「餌」でした。
そこには更に「野良猫」「野良犬」そして「ハシブトガラス」が加わり、山原の森は壊滅的な被害を被ってしまいます。
二つ目はその警戒心の欠如です。
ヤンバルクイナを始めとする山原の森の生き物たちは、長年に渡りこの地で進化を遂げてきたので、警戒心というものが薄くむしろ好奇心の方がそれを上回ります。
夜間のねぐら探しや早朝の活動時間には、気に入った高さの木や餌場を探すため、かなりの距離を移動します。
それは山原の森を縦断する「自動車道路」においても同様です。
また、自動車道路の脇にある側溝には、落ち葉が溜まり堆肥状になります。
するとミミズなどの餌が豊富になり、自然と餌を求めてヤンバルクイナは道路近くに出没するようになります。
しばしば道路を横ぎるのですが、自動車が接近しても慌てて逃げようとはしません。
最終的に自動車にひかれて轢死してしまうヤンバルクイナが後を絶ちません。
現地では「ヤンバルクイナに注意!」という、道路標識さえ設置されているほどです
三つ目は生息地の伐採・開拓が挙げられます。
これは過去の話で、現在は山原地域のほとんどが「国立公園」に指定されており、人が手を加えることはできません。
ただ指定される以前は、森林が伐採されたり宅地開発されたという経緯があります。
そのため多くのヤンバルクイナが姿を消してしまいました。
「ヤンバルクイナ」の保護の取り組み
具体的な保護活動は「やんばる野生生物保護センター(1999年創立)」、そして民間人で運営されるNPO法人「どうぶつたちの病院」が創設した「ヤンバルクイナ救急救命センター(2005年創立)」による24時間体制の負傷・病気の手当てなどが行われ、野生生物保護において異例の磐石体制が整っています。
その卵やひなは成鳥より遥かに捕まえやすく、外来動物たちにより食害を受けやすい傾向がありました。
次の世代が育たなければヤンバルクイナはその数を減らすか絶滅してしまいます。
ヤンバルクイナは確かにその総個体数がV字回復したのですが、少数からの個体数の増加による血の濃さや、他所では生きて行けないという事実があり徐々に「山原の森」自体を保護する機運が高まり始めるのです。
2000年には沖縄県、そして翌年には環境省直々に罠を使った野良猫・野良犬・マングースの駆除・捕獲が始まります。
当初は「完全駆除」を目標に掲げていましたが、現在に至るまでそれは叶っていません。
しかしある程度の成果はあったようで、徐々にヤンバルクイナの個体数は右肩上がりになっています。
山原地方には、そこでしか生きていけない生物群が飛び抜けて多いのが特徴です。
新種の鳥であるヤンバルクイナの発見はこの「山原地方」全域の保全意識に拍車をかけました。
国際上において、IUCNレッドリストにより「絶滅危惧ⅠB類(絶滅危惧)」国内の環境省レッドリストではワンランク上の「深刻な危機」を意味する「絶滅危惧ⅠA類」の双方に指定されています。
「絶滅・絶滅寸前」の一つ下の指標が「絶滅危機」であり、この事からもヤンバルクイナが置かれている厳しい状況が分かります。
更に発見時の翌1982年には国の「天然記念物」に指定され、1993年には種の保存法の立法・施行を受けて「国内希少野生動植物」にも認定されています。
2004年には「ヤンバルクイナ保護増殖事業計画」が環境省により立ち上げられ、野生個体の生態調査や繁殖施設の建設が進められたのです。
これまでは遺棄された卵を保護しヒナが孵卵したケースだけであり、飼育下の完全人工繁殖は行われていませんでした。
それから3年後の2007年にNPO法人「どうぶつたちの病院」で遂に念願の野生個体の人工繁殖が成功します。
人工繁殖が成功したペアは、それぞれが保護された卵から産まれたヤンバルクイナでした。
それに追随する様に5年後の2012年には、環境省が設立した「ヤンバルクイナ飼育・繁殖施設」で4羽の自然孵化が成功するのです。
2014年から2015年には遂に飼育下繁殖個体からの第二世代のヒナ3羽が誕生しました。
第二世代とは人工孵化させた元親の子供たちが交配する事を指します。
累代繁殖が成功したことで、また一歩ヤンバルクイナの保護が前進するのです。
それぞれの親は交通事故で運ばれてきた個体と、子育てを放棄された卵を人工孵化させた個体です。
この様に保護に向けた飼育・繁殖のサイクルは、徐々にですが進歩を見せます。
発見当初は約1800羽いたヤンバルクイナは、2005年に約700羽までに落ち込んでしまいます。
ところが環境省とNPO法人どうぶつたちの病院の官民連携により、2010年には
およそ1000羽まで回復し、2022年現在は約1500羽のヤンバルクイナが山原の森で暮らせるようになりました。
2016年に環境省は国頭村・大宜味村・東村の3村を含む7721haの山原地区と周辺海域を、沖縄県初の国立公園「やんばる国立公園」と指定し、大多数の動植物の持ち帰りを禁止しています。
東京ドームの面積が約4haなので、その広大さが伺えます。
そして記憶に新しいのが2021年に「国連教育科学文化機関」の諮問機関、国際自然保護連合(通称ICUN)により「世界遺産」の登録を受けた事です。
これら認定次項とは別に「どうぶつたちの病院」は、ロードキルされたヤンバルクイナ・病気に罹患している個体などを積極的に受け入れています。
環境省は新たに「やんばる野生生物保護センター」を設置しました。
これらの施設が互いに協力し合い、ヤンバルクイナの保護に努めている訳です。
また大宜味村と東村に近年、その姿を見せなかったヤンバルクイナが再び戻るようになりました。
今後ヤンバルクイナの保護が順調に進めば、ヤンバルクイナが完全絶滅する恐れはないでしょう。