家畜牛の祖先であるオーロックスをご存知でしょうか?
野生で生きていたオーロックスは1627年に絶滅。
17世紀以降最初に絶滅した動物となっています。
オーロックスとは
オーロックスは1年を通して主食は草や木でした。
冬に近づき始めると、脂質を摂取するためにドングリなども食べ、現代の牛が乾いた地を好むことに対してオーロックスは湿地をより好んでいたようです。
ほとんどが単独行動であったが、最初は30頭以上の群れで行動していて主に仔牛や若い雄牛を連れている構成でした。
年老いた雄牛や発情期以外の雄牛は単独行動を取っていて、力の優劣をつける際や雌牛をめぐっての争いはかなり激しく、それによって死ぬ雄牛もいるほどだったそうです。
彼ら自身の社会の秩序は、いかに強いかというところで保っていて、体や角の強さで図っていました。
繁殖期は7月/8月で、出産期は5月/6月。
争いに勝った雄牛は雌牛とつがいになり、夫婦で仔牛を育てます。
雌牛は仔牛が牧草地に行くことができる十分な大きさ・強さになるまでにそばにいて、仔牛を守る一方、雄牛は持ち前の武器である角や驚異の身体能力で仔牛を守っていたそうです。
オーロックスにとっての天敵は、アフリカではライオンやオオカミ、アジアではトラやハイエナなど。
また、狩猟の的となった際には人間(ネアンデルタール人など)が天敵となり、オーロックスを頻繁に捕獲。
ヨーロッパやアジアの住居跡から雌牛や仔牛の骨が発見されています。
足が速く俊敏であり、人間が攻撃的な態度を取ると空中に放り投げることもあったが、基本的にはおとなしい性格で、後に家畜として飼われることになります。
オーロックスの身体的特徴
現代の牛とはかなり体型が異なり、脚はより細長く、頭蓋骨は大きな角を持っていたためかなり大きかったようです。
運動能力が高く、筋骨隆々のたくましい肉体を持っていて首と肩の筋肉がとても発達していたと考えられます。
雄は仔牛の時には栗色であるが徐々に黒色に変わり、雌は赤褐色の体色を持つ。
2本の角の間には前髪があり、元々は黒色のカールがかっているものであったが、家畜化の後に金髪に変色したと考えられています。
雄と雌の違いは体色だけではなく、体高や角の大きさにも現れており、雄はかなり大柄な体高を持ち、最大2mほどの体高でした。
なぜこれほどの大柄となったのか、これには2つの理由があると考えられています。
1つは大量に摂取する植物を消化する消化器官がそもそも大きく、それに比例して体積が大きくなったから。
体積が大きいことにより体温の維持もでき、消化の効率も良くなるため大型化が進んだと考えられています。
2つめは、単独行動へ変化したことにより、群れで行動していた時よりも餌を多く取り入れることが可能となったからです。
また、体高は地域によって異なるという考えもあり、ヨーロッパ内でも北部のオーロックスのほうが南部よりも大きかったと言われています。
成体の雄の体重は1500キロもあったみたいです。
彼らのシンボルとも言える角は、大きさ・湾曲さ・向きに特徴があり、雄が持っているもので最大80㎝、直径は20㎝とかなり重厚です。
石器時代に生きていたオーロックスの角のほうが、後の氷河期に誕生するものよりも大きく強いものであったと考えられ、大型の捕食者がいなくなった影響と考えられます。
普段の性格はおとなしいが危険を察知すると、この重厚な角と高い運動能力を武器に戦いへ挑んでいたと想像できますね。
対して雌の体高は雄よりも小さく最大150㎝ほどであり、角の湾曲も雄よりは大きくなかったみたいです。
オーロックスの分布・生息地
オーロックスはインドで誕生した後、ユーラシア大陸へ進出したと考えられています。
約200万年ほど前にインドにて誕生したオーロックスが最古のものであると考えられていて、その後ヨーロッパ・アジア・アフリカなどへ広範囲に分布して行きます。
この際にインドオーロックス・北アフリカオーロックス・ユーラシアオーロックスと3種類のオーロックスが誕生し、それぞれ生息地も異なります。
インドオーロックスは、最初インドに生息しており、その後南アジアの半乾燥地帯で家畜化。
次に北アフリカオーロックスは、中近東から移住してきたオーロックスの子孫で、中東を経由し、アフリカへ移動した後に北アフリカの森林や低木林に生息。
最後にユーラシアオーロックスは、ヨーロッパ・シベリア・中央アジア・東アジアの草原や、シベリア地方の針葉樹林を渡り、川岸地帯や混交林に分布を広げて行きます。
主に川のほとりの地帯や、2種類以上の木から成る混交林地帯などで生息していたみたいです。
ローマ帝国時代になると、オーロックスはヨーロッパにて広く分布しますが、人間の人口が増加したことにより、家畜化の拡大・闘技場での戦闘用としての武器・過剰な狩猟などにより、生息地はヨーロッパ北東部に限定されていきます。
ヨーロッパ北東部でのオーロックスにとっての避難場所は、沼地や割れ目、川岸などでした。
一時期、オーロックスの分布の範囲はヨーロッパからアフリカ北部・中東・インド・中央東アジアに及んでおり、3000年前までは中国東部でも発見されています。
また、チベット高原・平河に近い地域・朝鮮半島・日本列島からも化石が出土している。
オーロックスの絶滅した原因
前にも述べたように、人間の人口が増えて以来オーロックスの数は減少していきました。
その昔、オーロックスと人間は関わりが深く、共存していたことがラスコー洞窟の壁画から見てもよく分かります。
それなのに何故、絶滅にまで追い込んでしまったのでしょうか。主な理由は2つあります。
原因①娯楽に使われた
まず1つめは、ローマ帝国時代にて娯楽目的として扱われ、狩猟されていたためである。
その頃のローマでは闘牛が盛んとなっていて、闘技場へ多くのオーロックスが戦闘用に繰り出されていた。
そのために、数えきれないほどのオーロックスが狩猟で殺されたと考えられる。
この時の狩猟は無制限だったため、種が絶滅するギリギリまで続いた。
特徴的な角は神聖なものとしてみなされていたため、殺された後に神殿などに献上されたり、コロッセオのような円形劇場で展示されていたようだ。
当初、狩猟自体は貴族の特権となっていて後に徐々に王族のみに制限されていった。
王族でのオーロックスへの扱いは酷いものであったらしく、狩猟が停止された後にも、“オーロックスのための放牧地”という名の“王族が独占して狩りを楽しむ場所”が作られた。
王室は、管理人から放牧地を提供してもらう代わりに、地方税を免除するシステムを作っていたという。
原因②家畜化
2つめは、家畜化による影響である。群れで行動し、比較的おとなしいオーロックスは餌の管理もしやすかったこともあり、家畜としては好都合であった。
最初は少ない数で、限られた地域で家畜化が始まったがその後2000年ほどかけて全世界に広がった。
飼育している環境の中で育ったオーロックスは繁殖する頻度が高いため、近親交配なども行われたことにより疫病に対して強くはなかった。
そのため、牛の伝染病が流行り多くのオーロックスが死んだようだ。
農業の普及はオーロックスの生息地を変化させ、家畜化が進行すればするほど生息地が狭くなっていったため、残った野生のオーロックスはほとんどいなくなってしまったという。
そして最後の雌はポーランドで自然死し、完全にオーロックスは絶滅した。
オーロックスの生き残りの可能性
オーロックスは2度家畜されたと考えられています。
1度目は南アジアで家畜化された際、遺伝子が現在のゼブ牛に取り込まれ、2度目のヨーロッパで家畜化された際の遺伝子はタウリン牛に入っていると考えられています。
2012年のドイツグーテンベルグ大学・フランス国立科学研究センター・パリ自然史博物館・ロンドン大学の科学者たちによる研究では、現在飼育されている牛の品種は全てオーロックスの子孫である説を発表しています。
研究内容は、イランでの発掘調査にて発見された牛の骨の化石からDNAを調べたところ、化石のDNA配列と現代の牛のDNA配列にそこまで違いがないことが分かったというものです。
再び蘇らせる試み
純血のオーロックスは完全に絶滅してしまいましたが、1930年代にドイツ人のルッツ、ハインツ・ヘック兄弟が動物園にて蘇らせる試みをした結果、ヘック牛というものが誕生しています。
この牛はスペイン産の闘牛と国産牛を交配させたもので、成功はしたが従来のオーロックスよりも小柄な体格のものが生まれました。
そして現在、ヨーロッパのいくつかの国ではオーロックスを再現するプロジェクトが行われており、積極的に活動している団体も2団体あります。
1つはポルトガルのタウルス財団というところです。
ここでは、ヘック兄弟の試みを繰り返し、オーロックスを機能的な野生動物として復活させることを目的としています。
タウロスという品種の開発し、2015年にオーロックスのゲノムを配列することに成功した実績がります。
タウロス種は現在ポルトガル・イタリア・ルーマニア・クロアチアの再野生化された環境に居ます。
これはリワイルディングというプロジェクトの一環で、自然に身を任せ、傷ついた生態系を修復するものです。
もうひとつは、Operation Taurusです。
これは300頭の仔牛とオーロックスのDNAを持つ牛をバックブリードという方法で繁殖させるものです。
具体的には、オーロックスの特徴を持つ牛の品種を選び仔牛の世代ごとに、外見・行動・遺伝的構造の全ての面でオーロックスに近づけていくというもの。
使用している牛の中には最も近い特徴を持つ品種がいくつかあり、100%オリジナルのものを作ることはできませんが、非常に近い動物を作ることが出来ます。