ダイトウノスリはタカ目タカ科ノスリ属の鳥類です。
系統分類から肉食性の鳥類である「猛禽類」に属します。
かつて国内のノスリ属は、本土に広く分布する代表種「ノスリ」を始め、小笠原諸島の「オガサワラノスリ」そしてこの「ダイトウノスリ」の3種でした。
基本種は全て「ヨーロッパノスリ」に準拠します。ノスリ・ダイトウノスリ・オガサワラノスリはその亜種です。
名前の通り北大東島・南大東島の2島からなる、大東諸島の完全固有種です。
その体躯は海岸部によく見られるトビより一回り小さく、その眼球は夜行性動物さながらの黒目一辺倒であったと言われています。
学名Buteo buteo oshiroiの亜種小名oshiroiは発見当初の飼育者、大城正雄氏から取られており、その存在の報告者である黒田長久氏により命名されています。
残念ながら2012年発表の環境省レッドリストに於いて、完全な絶滅種として記載されています。
「ダイトウノスリ」とは
沖縄本島から東の約300km、九州鹿児島県の真南に位置する北大東島・南大東島の2島にのみ生息していた完全な固有種です。
この2島は本土由来の島ではなく、太平洋プレート由来であり完全に独立した海洋島として知られています。
その面積は2つの島を合わせても僅か4251haほどです。これは東京ドーム約100個程度に相当します。
1971年に当該島の鳥類調査を行った黒田長久氏により“ダイトウノスリ”の発見・報告がなされてました。
前述の通り発見当初は島民の飼育個体のみでした。
ノスリと相似しますが、その体色は黄色みがかかり羽毛の赤みが顕著に見られます。その事から地味な体色のノスリとは一線を画していたようです。
「ダイトウノスリ」の分布・生息地
北大東島と南大東島にのみ分布・生息していました。
島内に通念留まり、そのライフサイクルを終える留鳥であり、島民の話では海岸線から森林地帯にかけて幅広く見かけられたと言われています。
主に産卵・繁殖は森林地帯で行われていました。
ただ沖縄県から300kmも離れた両島です。
後述しますが2000年代に入るまで特定団体による本格的な調査は一切されていません。
そのため生息地や住環境、生態についてのレポートは非常に乏しく、数点の写真が現存するのみで標本・剥製等は一切残っていません。
「ダイトウノスリ」の絶滅した原因
ダイトウノスリは島内の自然環境やその面積に完全に適応していました。
そのため生息域も限られており、元々の個体数も微々たるものでした。(正確な個体数調査は実施されていません)
大東諸島はほぼ生態系が固有種のみで形成されています。
更にダイトウノスリ発見以前から次々と多種の絶滅報告が挙がっています。
1984年にダイトウウグイスが絶滅亜種、次いでダイトウヤマガラ・ダイトウミソサザイと言った小型鳥類が絶滅種といったように、その姿を次々と消しています。
小型鳥類を主食とするダイトウノスリの減少は当然の摂理でした。
暮らすのにはかなり不便な孤島という事もあり、人間の入植が決定的ファクターではない様です。
しかも1970年代の発見当初から既に個体数は激減しています。
野生個体が余りに発見できず、飼育個体から種の識別が行われるという変わった方式が取られています。
憶測の域は出ていませんが、極端な閉鎖環境という事もあり食物ピラミッドが脆く、何らかの自然要因でピラミッド下部が崩れたのを皮切りに、連鎖的に絶滅が続いたとの見解が強いです。
「ダイトウノスリ」の生き残りの可能性
2001年から2011年の実に10年間にも渡る、大阪市立大学探索隊による大規模な生態調査が北大東島・南大東島で行われています。
公開レポートには「ダイトウノスリは確認できず」との報告があります。
これを受け環境省はレッドリストに絶滅種として公的記載をします。
これによりダイトウノスリは正式に地球上から姿を消してしまいました。
前述の通り標本・剥製等手掛かりになるものは一つも現存しません。
つまり分子生物学的な観点からの遺伝子調査すら不可能です。
それに加え70年代から80年代の調査から20年以上の月日が流れています。
公的な捕獲・保護の記録はありません。
大東諸島内に於いても、ついにダイトウノスリはその急激な環境変化に耐え得ることができませんでした。
生体サンプルが現存すれば、ノスリに極めて近い近縁種です。
卵への核移植など、現代技術での人工復活もあり得たでしょう。
しかし残念ながら現状は姿形も消失してしまった動物です。
大変残念なのですが、今後の生き残りの可能性は極めてゼロに近いというのが当然の検証なのではないでしょうか。