絶滅危惧種

【コウノトリとは】生息地や絶滅危惧に至った原因・保護の取り組みについてのまとめ

今回紹介する「コウノトリ」はかつて日本国内に広く生息しており、その姿は江戸近郊…つまり現在の東京でもごく普通に見られ、繁殖まで行っていたそうです。

ところが時代が移り変わり元号が明治に変わると、コウノトリの受難が始まります。

明治政府が行った廃藩置県により日本は統一され、全国一律の法律が設定されます。

その中の「狩猟法」という法律はコウノトリの狩猟を解禁しました。

また時代が太平洋戦争に突入すると営巣地である松林が戦時物資である松油補給のため次々に伐採されてしまいます。

そして戦争末期・戦後の食糧難時は食肉として、そして稲作を荒らす害鳥として次々と駆除されました。

追い打ちをかけるように、高度経済成長期には水銀を含んだ農薬による生物濃縮、減反政策による生息地の消失が起こり、遂に国内のコウノトリは完全絶滅しました。

2022年現在日本のコウノトリは「渡り鳥」のみであり、その生息地も片手で数えられるほどです。

なぜコウノトリはこれほどまでに数を減らしたのか?そして今現在国内ではどのような保護の取り組みが行われているのか?

その基本的な生態も合わせ説明していこうと思います。

「コウノトリ」とは

コウノトリはコウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属に分類される大型鳥類です。

その外見が非常にツルに似ているので誤解されがちですが、彼らはツルの仲間ではなく「コウノトリ」といった独立した種属となります。

古くは日本絵画などで「松上の鶴」として描かれていますが、ツルの仲間はアフリカにいる一種を除き樹上などの木枝を掴むことはできません。

よく美術館などで目にするこの手の鳥類の正体は、その全てがコウノトリと言われています。

それほど江戸時代の250年間の間は、庶民にとって身近な鳥であった事が伺えます。

残された文献・飼料等による確認調査では1868年以前において、北海道を除く全国各地に大量に生息していたとされています。

更に動植物の分類学に於いて、その科その属の「模式標本」と呼ばれる全ての種の基本的な標本がありますが、コウノトリの模式標本はかつて横浜市で捕えられたものが世界基準となっているのです。

一般にコウノトリというと「赤ん坊を運んでくる」というおとぎ話が有名ですが、この話は実はヨーロッパ・アフリカに広く分布する「シュバシコウ」というコウノトリの近縁種にまつわる伝承が元になっています。

ただしコウノトリの分類はかなり不明瞭な部分が多く、このシュバシコウとの間で世代間に渡って交雑することができてしまいます。

また別種であるはずの「ヨーロッパコウノトリ」との間にも、容易に交雑個体ができてしまうため、現在の立ち位置に落ち着くまで分類学者の間ではコウノトリについてはかなりの論争があったそうです。

2022年現在は鳥綱コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属コウノトリ(学名:Ciconia boyciana Swinhoe)として完全独立種に落ち着いていますが、それ以前はヨーロッパコウノトリの亜種(DNA交雑法で別種と判明)とされており、今でも一部の研究者はシュバシコウとコウノトリを同一種とするグループもいるほどです。

ただ本記事で取り上げるコウノトリの外観的特徴は、黒い下羽根・尾翼を持ち頭部までかけて全身白色であり、クチバシはややくすんだ褐色、そして赤い脚部を持ちます。

決め手は生息地がこれらの二種と極めて隔たりがあり、必ずしも連続した個体群ではありません。

これらからかつて日本国内に留鳥(年間通して固定された地域でライフサイクルを行う鳥を指します)として存在したコウノトリとは切り離してお話ししましょう。

コウノトリの国内野生留鳥群は昭和46年(1971年)に福井県武生市内で嘴を負傷した個体が保護されて以来、日本国内から完全絶滅しています。

その後観察された個体は冬鳥(繁殖せず越冬するために飛来する鳥)として越冬地として日本を選び大陸から飛来するコウノトリのみでした。

コウノトリは9月~10月にかけ大陸から渡りを始め、大陸部の寒波が終わる翌年3月頃まで日本に留まります。

ただ国内種絶滅時は、かつてのように日本で繁殖することは一切ありませんでした。

1956年には「国の特別天然記念物」に指定され保護活動が積極的に行われていますが、遅きに失しています。

1965年には国内個体の総数が12羽になり最終手段として捕獲・人工飼育・繁殖が試みられます。

しかし当時の未熟な飼育方法では一向に増える気配はなく、昭和61年(1986年)に兵庫県豊岡市豊岡盆地に生息していた保護個体が死亡。

これにより野生種・保護種の全てを含めた日本産のコウノトリが全滅する運びとなってしまいます。

コウノトリは非常に愛情深い鳥で雌雄を揃えれば繁殖する類の鳥類ではなく、気の合った相手と一夫一妻で生涯連れ添います。

パートナーを変える時は相手が死亡してしまった時のみです。

これに加えコウノトリの飼育は本来広大なスペースを要します。

コウノトリは動物園で見かけるような鳥舎では、すぐに空へ向かって羽ばたき壁などにぶつかってしまうのです。

鳥類は飛行のため非常にスカスカで脆い骨格をしており、一度骨折したらほぼ死に近づくも同然です。

せっかく保護したコウノトリもこのような性質が仇となり、次々と亡くなっていきました。

鳥類の大きさを測る基準に体長とは別に「翼開長」という、翼を広げた長さがあります

コウノトリの翼開長は約2m、体長は約1m、体重は鳥類としては別格の5kgを誇ります。

この様な鳥が脚部や胴体を骨折すると、自重に耐えきれず死亡に至ってしまうケースがほとんどです。

そしてコウノトリの雛は鳴き声を上げるのですが、成鳥になると鳴くことはなく「クラッタリング」という嘴を激しく叩きあわせる音でしかコミュニケーションを取りません。

死亡間際の断末魔も上げないほどで管理者にも気づかれることなく死に至るので、保護個体もこの様な理由で全てが死亡してしまいました。

後述しますが現在は飼育技術・保護技術が急激に発達を見せ、ロシア・中国から寄贈された個体が僅かづつですが人工繁殖の軌道に乗り、国内への放鳥プロジェクトも成功の兆しを見せています。

決して国内種ではないのですが、トキのケースと異なり渡りを行うので地域個体群の差はありません。

このプロジェクトに付随した「コウノトリに優しい環境づくり」により、渡りを行うコウノトリも徐々にですが全国各地で目撃例が挙がり始めています。

「コウノトリ」の分布・生息地

前述したようにコウノトリの留鳥群は、江戸時代以前には北海道を除く全国各地に生息しています。

視点を国外に向けると、その生息地は東アジアのみに限定されています。

具体的には韓国・北朝鮮・中華人民共和国(台湾)・ロシア南東部に限られます。

韓国では1971年に現存する最後のオス個体が密猟されてしまい完全絶滅の状態になりました。

北朝鮮は情報不足で現状の生息状況は不明ですが、中国東北部(かつての満州地方)の国境近くのロシア、アムール・ウスリー地方の河川域で繁殖を行っています。

現在の総数は約2000~3000羽足らずと推測されており、国外個体も依然絶滅の危機に瀕しています。

そして日本の現状ですが兵庫県豊岡市の「コウノトリ保護増殖センター(旧コウノトリ飼育場)」が町ぐるみで保護活動に取り組み、全国各地の動物園も一丸となったことで回復の兆しを見せています。

2021年のデータでは飼育個体が94羽、そして繁殖まで行う野外放鳥個体が217羽確認されており、国内総個体数は完全絶滅から計311羽までの回復を見せています。

「コウノトリ」が絶滅危惧種となった理由

コウノトリは国際動植物保護機関IUCNに於いて絶滅危惧ⅠB類のEN(Endangered)にカテゴライズされています。

これは絶滅・野生絶滅・絶滅寸前の次に高い危機を示す「絶滅危機」に相当します。

国内では更に危機的状況にあり、環境省レッドリストの絶滅危惧ⅠA類・CR(Critically Endangered)…つまりは絶滅寸前に格上げされている状況です。

コウノトリがここまで数を減らしたのは時代の流れに沿って3つの危機が彼らを襲ったからです。

一つ目は既に述べた明治時代の「狩猟法」の解禁です。

その見事な羽毛は高額で取り引きされ、食肉としても幅広く流通したのが事の発端です。

第二段階として「太平洋戦争」が挙げられます。

極端な食料・物資の不足は戦中・戦後の状況として広く周知されています。

コウノトリは木の天辺に営巣し雛を育てます。

その主軸である木々…特に松などの油が取れる樹木は軍曹部により積極的に伐採され、気づけば子育てを行う場所がほぼ喪失してしまいます。

そして貴重なタンパク源・食料として戦時下・戦後には乱獲され、親鳥すら直接殺されてしまうのです。

戦後が落ち着きある程度国民の生活が安定し始めたころ、第三の悲劇がコウノトリを襲います。

それは高度経済成長下における「ダム開発」「開拓」「水銀性農薬の使用」「減反政策」でした。

水銀性農薬は今でこそ御法度ですが、当時は戦後間もない1950年代から使用され、汚染されたカエルやドジョウを主食とするコウノトリはみるみる間に水銀中毒に犯されます。

減反政策は1970年代から行われ、彼らの餌場を根こそぎ奪い去ってしまいました。

これらのことが複合要因となり、コウノトリは完全絶滅に至ったのです。

また一夫一妻制の繁殖・繁殖期には死ぬまで争うオス・最難関とされる人工飼育と繁殖…その様な生態を持つことも、コウノトリ絶滅の一因と言えるでしょう。

「コウノトリ」の保護の取り組み

コウノトリ保護計画は1965年に幕を開けます。

その内容は数少ない野生個体を捕獲し飼育下繁殖を目指すというものでした。

しかしその目論見とは裏腹に開始当初は飼育方法の模索・オス同士の闘争死・既に水銀性農薬に蝕まれた個体が大多数で、そのほとんどが死んでしまいます。

当時の野生コウノトリが完全絶滅したのは、その僅か6年後です。

それに並行して「神戸市立王子動物園」「多摩動物公園」「大阪市天王寺動物園」において、中国産の個体を譲り受け人工繁殖も行われ始めます。

その結果1972年に人工繁殖計画に取り組んだ「多摩動物公園」が1988年に遂にその人工繁殖に成功します。

僅か1年後には「豊岡市コウノトリ保護増殖センター」ではロシアから譲渡されたペアが飼育下繁殖を行います。

この2つの成功例が各施設の雛型となり、90年代には「大阪市天王寺動物園」を始め全国各地で人工繁殖に繋がっていきました。

1962年に兵庫県・福井県が国の文化財保護法により「特別天然記念物管理団体」の指定を受けていたのですが、これらの成功例を受け兵庫県では遂に1992年「コウノトリ野生復帰計画」が開始される運びとなります。

兵庫県豊岡市のコウノトリ増殖センターでは近親交配等の課題を次々とこなし、遂に2002年には総飼育数100羽を超えることとなります。

1999年には既に「兵庫県立コウノトリの郷公園」を解説しており、コウノトリの野外放鳥への準備を着々と進めていたのです。

その後も兵庫県はコウノトリ野生復帰の先陣を切り、各自治体が農業への無農薬推進・休耕田などの餌場への改築・人工繁殖塔の設立など、コウノトリ放鳥の下準備を着々と進めていました。

そして遂に2005年9月24日、歴史的な日を迎えることとなります。

コウノトリの郷公園周辺の環境は完全にかつてのコウノトリの生息環境を取り戻していました。

野外での捕食訓練を積んだ5羽のコウノトリが、世界初の放鳥を迎えます。

この5羽は実に営巣と産卵まで至りましたが、残念ながら雛の孵化までには至りませんでした。

しかし翌年に再度放鳥されたコウノトリは産卵、そして孵化、更には野生への旅立ちも成功したのです。

これがコウノトリの実に46年ぶりの野外繁殖・巣立ちとなりました。

それから地道に野外放鳥を続けた結果、2012年には定着した野外個体は60羽に昇ります。

2018年には総個体数が100羽を超え、2022年現在は野外で生き抜いていけるコウノトリが217羽にまで増え続けています。

これらのコウノトリには足環とGPSが装着されており、センター職員が逐一その状況を観測できるようになっています。

ただ将来的な目標は、これらの個体から産まれた足環・GPSがないコウノトリが増え続けてくれることです。

217羽とまだまだ種の保存としては安全圏とは言えない個体数ですが、順調にその数を増やしている状況は、コウノトリにとって明るい未来と言えるのではないでしょうか?