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【ステラーカイギュウ】日本にも居た?27年で絶滅した優しすぎる生物

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ずんぐりむっくりとした可愛らしい見た目が人気なジュゴン。

日本の水族館でも見ることができる人気の海洋哺乳類です。

昔人魚と見間違われたのはジュゴンではないか、と言われることもあり、その大きさは3メートルほどです。

そんなジュゴンを更に大きくしたような生物が、かつて地球上に存在していたことを知っていますか?

ステラーカイギュウという海棲哺乳類です。

大きさはなんと中型のトラックほどもあり、その体は寒い海でも生きていけるように分厚い脂肪で覆われていました。

とても温厚な性格をしていたと言われるステラーカイギュウは、発見から27年余りで姿を消してしまいます。

その最期はとても切なく、悲しいものでした。

なぜそんな優しい生物が絶滅してしまったのでしょうか。

今回はそんなステラーカイギュウについて詳しくご紹介していきます。

ステラーカイギュウとは?

ステラーカイギュウはカイギュウ目ジュゴン科に属する哺乳類です。

英語名は『Steller’s sea cow』で、このSteller(ステラー)というのは、最初に発見を報告したドイツ人医師であり探検家・博物学者でもあるゲオルグ・ウィルヘルム・ステラーの名前から取っています。

カイギュウは『海牛』と書き、同じカイギュウ目のマナティやジュゴンは進化の過程で別れた遠い親戚になります。

体形

体長は7〜8.5メートル、体重は7〜12トンとも言われています。。

大きいものでは9メートルを超えたという記録もあり、同じジュゴン科のジュゴンやマナティと比べると2倍以上もの大きさです。

分類上ステラーダイカイギュウと呼ばれることもあり、学名に『gigas』と付くのも納得の巨体です。

この体の大きさに対し顔は小さく、頭からしっぽの先までくびれのないのっぺりとしたフォルムをしていました。

しっぽは二股に分かれ、マナティよりはジュゴンに似た体形をしています。

暖かい海に棲むマナティやジュゴンと違い、ステラーカイギュウは寒さから身を守る分厚い皮膚を持っていました。

その皮膚の厚さは約2.5センチメートルといわれ、黒く固い皮膚の表面にはざらざらとしていてしわが刻まれていましたが、これは寄生虫によって付けられた溝なのだそうです。

2.5センチメートルの皮膚の下は10〜23センチメートルの非常に分厚い脂肪に包まれており、体温を維持していただけでなく流氷などから身を守るクッションにもなり寒冷地に適応していたようです。

生活

ステラーカイギュウは潜ることが不得意で、浅海に群れで漂いながら岩場に生えている海藻を食べていたとされています。

プカプカと浮かぶ姿は転覆したボートに見間違われることもありました。

一夫一妻制で、春に妊娠すると1年以上の妊娠期間を経て子孫を残していました。

一度の出産で生まれるのは一匹だったそうです。

大きな体をしていたので天敵はほとんど存在せず、海に浮かんでは餌を食べのんびりと生活していました。

食事

「浅瀬の海藻を食べていた」と発見者ステラーの記録に残っています。

他のカイギュウ目であるジュゴンやマナティは奥歯ですり潰して食事をしますが、ステーカイギュウは進化の過程で歯がなくなったためそのまま丸呑みをしていました。

胃がとても大きかったため咀嚼をしなくとも難なく消化していたようです。

下顎を覆う上唇と、口内の上下にある板状の固い角質を使い海藻類をむしっていたようです。

食べる物が海藻類であったため、流氷のやってくる冬は絶食せざるをえず、分厚い脂肪がなくなった体は骨が浮いて見えるほどであったといわれています。

ステラーカイギュウの分布・生息地

ステラーカイギュウはロシアとアラスカの間にあるベーリング海に浮かぶコマンドル諸島の内の一つ、ベーリング島の近海に生息していました。

ベーリング島は濃霧が発生しやすく、地震も起きやすい土地柄から、ステラーカイギュウ発見当時は無人島でした。

ステラーカイギュウは日本にもいた!?

こんなに大きな生き物が日本でも見られたとしたら、すごいことですよね。

実は日本でもステラーカイギュウやその進化過程の種の化石が見つかっています。

北海道や東北地方では数十体の化石が発掘されていて、こちらはステラーカイギュウとその祖先のカイギュウであることが分かっています。

最近では、2007年に多摩川の川底から全身骨格が見つかり、その地層の年代から130万〜50万年前までは日本近海にまで広く生息していたことが判明しています。

その後の気候変動などで徐々に住処を追われていき、ベーリング海が最後の地になったことが考えられます。

こんなに幅広い地域住んでいた生き物が、何故27年という短期間で絶滅してしまったのでしょうか。

ステラーカイギュウはこうして絶滅した

1741年(日本では江戸時代中期)11月に、ロシア帝国の探検隊が北米アラスカ探検の帰り道で嵐に巻き込まれ遭難します。

数多くの乗員が亡くなる中、探検船聖ピョートル号はコマンドル諸島の無人島(後のベーリング島)に到着します。

そこで、操縦がほとんど効かなくなった船を乗組員でなんとか岸に乗り上げさせ上陸することになりました。

探検隊はすでにほとんどの物資が尽きていましたが、これから来る寒さに備えなくてはなりません。

幸い島にはキツネや鳥、オットセイなどの生物がおり、それらを狩って生活することになりました、

その生物たちを詳細に記録していたのが、その時探検隊に参加していたウィルヘルム・ステラーでした。

ステラーはアラスカ探検の折りにも様々な生物をスケッチや記録に残していましたが、無人島にはアラスカで見たことのない不思議な生物がいることに気づきます。

それこそがステラーカイギュウだったのです。

ステラーカイギュウ1頭からはおよそ3トンもの肉が取れ、乗員30人の1か月の食糧になったとも言われています。

その肉はとても美味しく、アーモンドオイル風味の油やミルク、皮は寒さをしのぐ皮革製品に加工され、無事生き残った乗組員はロシアに戻ることができました。

その話を聞いたハンター達は大挙してベーリング島周辺に押し寄せステラーカイギュウを狩り始めました。

それまでのんびりと海に浮かび生活していたステラーカイギュウに防御の手段はほとんどなかったため、ほぼ無抵抗で狩られてしまいます。

更に仲間との強い絆がある彼らは、傷つけられた他の個体を守るために集まってくる習性もありました。

メスや子どもが攻撃され殺されていると何頭ものオスがやってきて刺さった銛を外そうとしたり、ロープを外そうとしたそうです。

発見者ステラーの記録には、メスのカイギュウを捕獲したところ、おそらく夫婦であったオスのカイギュウが寄り添い、死体を浜辺に置いた後もずっと離れなかったというものも残っています。

その習性はハンター達にとっては願ってもないことでした。

大きいものでは10トンを超えるステーカイギュウは、陸への輸送手段がなく、その狩りの仕方は非常に残酷でした。

ライフルに打たれたり銛に突かれたステラーカイギュウは大量に出血し命を落とします。
そうして波に揺られ、浜辺に流れ着いた個体のみが回収されたといいます。

実際に人間に捕獲されたのは、5匹殺した内の1匹程度であったといわれており、浜辺に流れ着かなかったステラーカイギュウは食べられることなく水底に沈んでいったのでしょう。

無抵抗に狩られたステラーカイギュウは、瞬く間に数を減らしていきました。

1768年にマーティン・サウアーが最後のステラーカイギュウの死を記録に残しています
(イワン・ポポフが「ダイカイギュウが2、3頭残っていたので殺した」が最後の記録という説もあります)。

こうして発見からわずか27年という短い期間で、ステラーカイギュウは地球上から姿を消したのでした。

そもそも発見時に2000頭しか残っていなかったのはなぜ?

ステラーらがベーリング海で発見した時にすでに2000頭程度の個体数だったステラーカイギュウですが、なぜそこまで数が少なかったのでしょうか。

これには諸説ありますが、当時ラッコなどの毛皮を取るために狩猟が盛んであったことが関係しているとも言われています。

ベーリング海にはラッコの好物であるウニがいましたが、ラッコが減ったことによりその個体数が増加し海藻類を食べてしまいます。

そのため食糧のなくなったステラーカイギュウは生息地を奪われていったのです。
どちらにせよ人間の行いのために姿を消してしまったということだったのでしょう。

ステラーカイギュウの生存の可能性は?

1768年に絶滅したと言われているステラーカイギュウですがまだ地球上に存在している可能性はあるのでしょうか。

実は1800年代には生存の可能性を示す報告が珍しくなかったといいます。

最近では、1962年ロシアの捕鯨船の乗組員がアナディリ湾で餌を食べているジュゴンに似た6匹の動物を見たといっています。

1977年にはカムチャツカの漁師がジュゴンによく似たプカプカと浮かぶ生物に触ったという報告もあります。

ジュゴンは熱帯から亜熱帯に生息する生物なので、この噂が本当ならばもしかしたら生存している可能性は消しきれないでしょう。